―鷲頭杜氏はどんな方だったのか?
とにかく優しく、真面目な人でした。“高みにいる人”という感じで、気軽に話しかけられる方ではありませんでした。ただ、若いころはすごく怖かったと聞いています。何事にも妥協しない、まさに職人といったような方でした。
酒を見るためのきき酒に重点を置いていたので、朝の早い時間から蔵に来て麹、もろみ、そして酒を利いていました。毎日同じ体調できき酒をするために、昼食は必ず“食パン”。会社近くの自宅に戻って、毎日食べていたと思います。健康にも気を使っていて、仕事以外では酒はあまり口にしていませんでした。
きき酒をする部屋にも重点を置き、毎朝、漂白剤を含ませた雑巾できき酒室を掃除していました。体調維持の運動のためだと、私たちには掃除をさせませんでした。
「次に手が伸びる吞みあきしない酒をを作らなくてはならない」と言っていました。淡麗でふくらみのある酒を目指していた鷲頭杜氏は、とにかくきき酒をくりかえして、その酒の持つ本質を見定め、吟味し、本当の旨い酒を目指していました。
趣味で能(観世流)を歌っていたようです。私自身は聞いた事はありませんでしたが、会社の社員にも教えていたそうだから、名手だったのだと思います。
―鷲頭杜氏と出会ったのは?
私が昔、お酒の調合にいたころに出会いました。最初はきき酒させてもらい、意見を言っても何も反応を返してくれませんでしたが、回数を重ねるに従いだんだんと意見を聞いてくれるようになりました。最後は一緒になって「この酒が良い」「これは悪い」と言いながらきき酒をしました。
私と意見が合わないと、さらに何度も何度もきき酒をして確認していました。教えていただいたのは、お客様目線での判断で最後は、「良い」「悪い」この言葉でした。
―鷲頭杜氏との印象に残っているエピソードは?
鷲頭杜氏が足を怪我されたときに、会長夫人に「鷲頭が怪我をするとあぶないから、おぶって行きなさい」と言われて自宅まで鷲頭杜氏をおぶっていった事があります。笑
晩年は、鷲頭杜氏に頼まれて何度か登山にお連れしました。鷲頭杜氏は奥さんに作ってもらったおにぎりを持ち、山で食べていました。冬の里山を含めいくつもの山に登りました。終わった後も、鷲頭杜氏に「次はどの山に登るんだ?」と聞かれ、恐らく登山を楽しんでくれていたんだと思います。ただ「もっと早く登りはじめるべきだったなぁ…」ともおっしゃっていました。木曽駒ヶ岳にも一緒に登りましたが、その時はすでに病が進行していたように思います。登りながら、すこし辛そうにしていました。
―現在、もし鷲頭杜氏にお会いできたら。
鷲頭杜氏からすれば、まだまだ私たちに指導したい気持ちで一杯かもしれません。
今の時代にはいないような実直な方でした。
代表銘柄である「極上吉乃川」の発売から30年が経ちました。
鷲頭の技術と熱意を継承した今の杜氏・蔵人たちが「越淡麗」を100%使用し、
吉乃川、そして鷲頭が常に追求してきた
「吉乃川らしさ」「飲み飽きないうまい酒」の原点に今一度立ち返った酒。
それがこの「極上吉乃川 鷲頭」です。
新潟の風土を愛した鷲頭昇一。
私たちは鷲頭の想いと技術を受け継ぎ、今日も明日もチャレンジを続けていきます。
皆さんが今日と変わらぬ「いつものうまい酒」を楽しく飲むことが出来るように。
【「鷲頭」揮毫の想い】 楽書家・今泉岐葉
楽書家・今泉岐葉
(Rakushoka KIYO-IMAIZUMI)
楽書とは、言葉のイメージに合わせて筆文字を表現する、デザイン&アート書道です。
2005年に「楽書家」として仕事開始。
現在「岐葉の楽書塾」を銀座、柏、我孫子で開講。カルチャーセンター講師。日本デザイン書道作家協会正会員。
吉乃川(株)の日本酒「中汲み」と「朱鷺」のロゴ。
料理の鉄人、笹岡隆次氏の新丸ノ内ビル「笹岡」にインテリア書「心」を揮毫。
ドイツ、ニューヨークでグループ展。
書道パフォーマンスは、そごう、イオン、結婚披露宴、震災復興イベントなどで経験多数。
楽器や歌や花や茶道などとコラボレーションも。