第5回(最終回) 吉乃川のレジェンドに聞く 伝説の杜氏 鷲頭 昇一

第5回(最終回) 吉乃川のレジェンドに聞く 伝説の杜氏 鷲頭 昇一

―吉乃川にとって、鷲頭杜氏とは?

「吟醸蔵」として長年吟醸酒を造ってきた吉乃川にとって、なくてはならない存在でした。父、鷲頭安太杜氏の跡継ぎとして若くから吉乃川の杜氏に就き、それ以来ずっと吉乃川のために尽力してくれました。昔は杜氏や蔵人は色んな蔵を渡り歩くのが普通でしたが、鷲頭杜氏はどこへも行かず吉乃川一筋でいてくれました、ありがたいことです。鷲頭杜氏の造った酒と酒造りへの姿勢が、今の吉乃川を支えてくれているんだと、私は思いますね。

―鷲頭杜氏はどんな方でしたか?

鷲頭杜氏の家は吉乃川の目の前にあって、朝早くから蔵に入っていました。味覚が澄んで研ぎ澄まされているうちに、朝から熱心に麹と酒を利いていたのが印象的でした。ただ、酒があまり強くないせいか、しばしば赤い顔で会議に出てきた事もありましたね。
人間関係では人とのつながりを大切にしていました。五十人以上いた蔵人をまとめる大変な役どころだから、腹を立てる事も多かったと思いますが、怒鳴った所を見た事はありません。おだやかで真面目な人でした。しかし、私が酒を評価して「もっと辛い方がいいんじゃないか」「すこし粗いんじゃないか」と言うと「はい、そうですね。」という割には何にも酒を変えてこない! 自分のペースで、思い通りの酒を造ることが信条だったんでしょう。(当時) 社長の私の話だって、関係ありませんね。そんな鷲頭杜氏だからこそ、私も信頼していました。本当に酒造りに生きていた人なんだと思います。

―もし、現在鷲頭杜氏とお会いできるなら、
何をしたいですか?

今の吉乃川の酒を飲んで、お互いに評価しあいたいですね。批判でもいい。正直な気持ちで吉乃川を、現代の酒を語ってみたいものです。吟醸酒を愛していたあの男が残した技と想いが、今につながっているという事を、実感させることが出来たらどんなに有難い良いことでしょうか。

代表銘柄である「極上吉乃川」の発売から30年が経ちました。
鷲頭の技術と熱意を継承した今の杜氏・蔵人たちが「越淡麗」を100%使用し、
吉乃川、そして鷲頭が常に追求してきた
「吉乃川らしさ」「飲み飽きないうまい酒」の原点に今一度立ち返った酒。
それがこの「極上吉乃川 鷲頭」です。

新潟の風土を愛した鷲頭昇一。
私たちは鷲頭の想いと技術を受け継ぎ、今日も明日もチャレンジを続けていきます。
皆さんが今日と変わらぬ「いつものうまい酒」を楽しく飲むことが出来るように。

極上吉乃川 鷲頭

今後も鷲頭杜氏にまつわるエピソードをお伝えしていきます。ご期待下さい。

鷲頭 バックナンバー

  • 第1回 越後が生んだ名杜氏 鷲頭 昇一
  • 第2回 吉乃川のレジェンドに聞く 伝説の杜氏 鷲頭 昇一
  • 第3回 吉乃川のレジェンドに聞く 伝説の杜氏 鷲頭 昇一
  • 第4回 吉乃川のレジェンドに聞く 伝説の杜氏 鷲頭 昇一
  • 第5回(最終回) 吉乃川のレジェンドに聞く 伝説の杜氏 鷲頭 昇一

【「鷲頭」揮毫の想い】 楽書家・今泉岐葉

「鷲頭」様の筆文字を魂こめて書かせていただきました。
吉乃川様のお酒を一口いただきまして、盃を奉げまして、紙に向かいました。
鷲頭様ご本人がふんわりと天から降りてきたような筆の入り方で始まった
第一画目の点から、終わりまで一気呵成に書きあげました。
水の流れが止まらないように、吉乃川様の歴史も永遠に続くように…
鷲頭様の実直さを迷いのない筆の運びで表しました。

お酒造りに対する一徹な頑固さと、柔軟さ。
懐の深さ、心の大きさ。

鷲頭様の事を聞くにつれ、お人柄とお顔立ちに惚れました。
厳しい中にも温かさのあるお顔が、この書から見えてくるようであれば幸いです!

大変名誉あるお仕事に関われましたことを 心より感謝申し上げます。


楽書家・今泉岐葉

今泉岐葉

楽書家・今泉岐葉
(Rakushoka KIYO-IMAIZUMI)

楽書とは、言葉のイメージに合わせて筆文字を表現する、デザイン&アート書道です。 2005年に「楽書家」として仕事開始。
現在「岐葉の楽書塾」を銀座、柏、我孫子で開講。カルチャーセンター講師。日本デザイン書道作家協会正会員。
吉乃川(株)の日本酒「中汲み」と「朱鷺」のロゴ。
料理の鉄人、笹岡隆次氏の新丸ノ内ビル「笹岡」にインテリア書「心」を揮毫。
ドイツ、ニューヨークでグループ展。
書道パフォーマンスは、そごう、イオン、結婚披露宴、震災復興イベントなどで経験多数。
楽器や歌や花や茶道などとコラボレーションも。

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