第4回 吉乃川のレジェンドに聞く 伝説の杜氏 鷲頭 昇一

第4回 吉乃川のレジェンドに聞く 伝説の杜氏 鷲頭 昇一

―酒造りに携わり、鷲頭杜氏と関わったのは
いつ頃ですか?

私はまず千葉県の蔵に入り、三年間勤務の後、吉乃川に二十歳の秋に入社しました。昭和五十五年に酒造技能制度が始まりましたが、季節雇用の者は清酒学校を受講することができませんでした。
そんな受講できない私をみてか、鷲頭さんからひと冬弥彦酒造に出向くよう指示され、そこで酒造りの技術を磨かせて頂きました。その弥彦酒造での経験が認められたのか、吉乃川に戻った後は以前よりも仕事を熱心に仕込まれるようになりましたね。

―鷲頭杜氏はどんな方でしたか?

性格は実直で真面目。酒造りには誰よりも厳しく、「仕事」として真摯に向き合っていました。
鷲頭さんは県内蔵元の杜氏のまとめ役を務められており、新潟の酒蔵を牽引した功績は大きかったのではないでしょうか。酒造りと共に、新潟の将来も見据えていた方でした。

―そんな鷲頭杜氏が最も
こだわっていたのは何ですか?

「麹」です。とにかく麹に関しては煩かったです。毎日熱心に唎き酒を行い、午前中は「もろみ」と「酒母」を利いて、午後は瓶詰後のお酒を持ってきて利いていました。酒造りの前からお客様が手に取る直前まで、とにかく品質確認を怠らない。あの真面目さには頭が下がります。

―鷲頭杜氏と聞いて、
思い浮かぶお酒はありますか?

もちろん吟醸酒ですね。とにかく「きれいな酒」を目指して造っていた方でしたから。その分味わいがある酒がウケる品評会では苦労される一面もありました。
私が杜氏を任された後、品評会で成績を残すため麹のスタイルを変えましたが、鷲頭杜氏は何も言わなかった。新しい酒の時代が見えていたのでしょうか… ただ単に、私が可愛がられていただけなのかもしれませんが。(笑)

代表銘柄である「極上吉乃川」の発売から30年が経ちました。
鷲頭の技術と熱意を継承した今の杜氏・蔵人たちが「越淡麗」を100%使用し、
吉乃川、そして鷲頭が常に追求してきた
「吉乃川らしさ」「飲み飽きないうまい酒」の原点に今一度立ち返った酒。
それがこの「極上吉乃川 鷲頭」です。

新潟の風土を愛した鷲頭昇一。
私たちは鷲頭の想いと技術を受け継ぎ、今日も明日もチャレンジを続けていきます。
皆さんが今日と変わらぬ「いつものうまい酒」を楽しく飲むことが出来るように。

極上吉乃川 鷲頭

今後も鷲頭杜氏にまつわるエピソードをお伝えしていきます。ご期待下さい。

鷲頭 バックナンバー

  • 第1回 越後が生んだ名杜氏 鷲頭 昇一
  • 第2回 吉乃川のレジェンドに聞く 伝説の杜氏 鷲頭 昇一
  • 第3回 吉乃川のレジェンドに聞く 伝説の杜氏 鷲頭 昇一
  • 第4回 吉乃川のレジェンドに聞く 伝説の杜氏 鷲頭 昇一
  • 第5回(最終回) 吉乃川のレジェンドに聞く 伝説の杜氏 鷲頭 昇一

【「鷲頭」揮毫の想い】 楽書家・今泉岐葉

「鷲頭」様の筆文字を魂こめて書かせていただきました。
吉乃川様のお酒を一口いただきまして、盃を奉げまして、紙に向かいました。
鷲頭様ご本人がふんわりと天から降りてきたような筆の入り方で始まった
第一画目の点から、終わりまで一気呵成に書きあげました。
水の流れが止まらないように、吉乃川様の歴史も永遠に続くように…
鷲頭様の実直さを迷いのない筆の運びで表しました。

お酒造りに対する一徹な頑固さと、柔軟さ。
懐の深さ、心の大きさ。

鷲頭様の事を聞くにつれ、お人柄とお顔立ちに惚れました。
厳しい中にも温かさのあるお顔が、この書から見えてくるようであれば幸いです!

大変名誉あるお仕事に関われましたことを 心より感謝申し上げます。


楽書家・今泉岐葉

今泉岐葉

楽書家・今泉岐葉
(Rakushoka KIYO-IMAIZUMI)

楽書とは、言葉のイメージに合わせて筆文字を表現する、デザイン&アート書道です。 2005年に「楽書家」として仕事開始。
現在「岐葉の楽書塾」を銀座、柏、我孫子で開講。カルチャーセンター講師。日本デザイン書道作家協会正会員。
吉乃川(株)の日本酒「中汲み」と「朱鷺」のロゴ。
料理の鉄人、笹岡隆次氏の新丸ノ内ビル「笹岡」にインテリア書「心」を揮毫。
ドイツ、ニューヨークでグループ展。
書道パフォーマンスは、そごう、イオン、結婚披露宴、震災復興イベントなどで経験多数。
楽器や歌や花や茶道などとコラボレーションも。

公式サイト